伊勢神宮 参拝
先月、念願の伊勢神宮に参拝して参りました。
私のスポンサーであるヘリーハンセンの会社「ゴールドウイン」が、毎年厄年の社員と、伊勢神宮に参拝しています。
素晴らしい会社です!
私も2年ほど前から、ご一緒に参拝したかったのですが、仕事の都合でどうしても行けませんでした。
今年は、何とか時間がとれまして、参拝の運びとなりました。
ゴールドウインは伊勢神宮との関わり合いがとてもあつく、一般の方よりも、より深く参拝できるのです。
ご案内の方も一緒に参拝していただけるので、この機会をずっと待ち望んでおりました。
厄年は過ぎましたが、ゴールドウインの社長をはじめとする社員お方と、参拝ができました。
今では若者の間で「パワースポット」と称し、大変参拝客が増えているようです。
確かに、日本一のパワースポットである事は間違いないでしょう。
それは、私も感じます。
私が感じた伊勢神宮の魅力はもっと他の事にあります。
なぜ、伊勢神宮が二千年もの長きにわたって、庶民に親しまれ続いてきたのだろうか?
これは世界の歴史を見ても、大変貴重な事です。
さて、初日は外宮の参拝、翌日、できたばかりの宇治橋を渡って内宮を参拝しました。
静かな伊勢の森を、ゆっくりと歩きます。
玉砂利の音が、心の雑念を少しづつ洗ってくれているようです。
伊勢神宮の方にこんな筆問をしました。
これだけの歴史を持つ立派な伊勢神宮なので、世界文化遺産に指定されているのでしょか?
「いいえ、世界遺産でも国宝でもありません。2千年前のものは何も残ってはいませんよ。」
私はこれを聞いた時、心から感銘を受けました。
伊勢神宮では式年遷宮と言って、神様に20年に一度、新しく建てた正殿にお遷りいただきます。
第一回目が持統天皇のとき690年だそうです。
正殿の隣には、同じだけの空き地がちゃんと残っています。
正殿は本当にシンプルです。
ヨーロッパの寺院のようにきらびやかな装飾は一切ありません。
しかし、全てが整っていて、本当に神聖なものを感じます。
私は、感じました。
伊勢神宮は、何か物理的な形を二千年残そうと思ったのではなく、この精神そのものを残そうとしたのだろう。
物質的なものは必ず壊れ、朽ち果てます。
よって、長きに渡って残しうるものは精神である。よって毎20年に一度リフレッシュを重ねながら、物ではなく精神と技術を残すシステムを1300年前に開発したのです。
私達が将来、子供達に残せるものは物質的な物ではなく、
この日本の精神であると思います。
少し前に、NHKで「心の遺伝子」という番組に出演させていただきました。
日本の大冒険家、植村直己→多田雄幸→白石康次郎とつないでいった。
それぞれ全く違ったタイプの人間であり、やり方もそれぞれ違います。
私は何を師匠に求めたか。
私は、師匠のようになろうと思って、弟子入りしたのではないのです。
師匠の求めているものを、私が求めたのです。
師匠の多田さんも植村さんの求めているものを求めたのでしょう。
すでに、植村さんも多田さんもこの世にはいません。
しかし、その精神はしっかりと私の心の中にあります。
世間はうつろです。諸行無常つまり無常が常なのです。
心こそが実なのです。
変幻自在に形を変えながら、時代に合わせて、その確固たる精神は二千年前と変わらずに
日本人に残っています。
本当に素晴らしいことです。
伊勢神宮を歩きながら、日本人とは、己とはなにか、そして、自分の成すべき事は何か、先にいってはこれから何を伝えていかなければならないかが、見えてきたような気がします。
本当に有意義な、参拝でありました。
最後に、ゴールドウインの列をはみ出し、風の神様である風日祈宮に人知れず参拝をして、まっすぐ家に帰りました。
皆さん素晴らしい伊勢神宮参拝をさせていただき感謝申し上げます。
康次郎